加納の告白

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は1970年、大阪万博の年に大阪で生まれました。

 

今となっては、はっきり覚えていませんが

小さい頃は、右腕のアザを友達に見られるのが嫌で、

体育の時間は苦痛で仕方なかったこと、

とにかく引越しが多く友達が少なかったことをぼんやりと覚えています。

 

加納の幼少期

 

そんな僕は昔から地味で目立たず、

根性も勇気も、自慢できるような取り柄もない少年でした。

 

 

社会人スタートは半導体関係の設計の仕事

まだ京都の亀岡市に住んでいた頃の職場風景です。

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熊本に来たのは14年前、
嫁さんが長崎の島原出身だったこともあり
九州の自然と食、そして人柄に魅了され
長女が3歳、長男が0歳だった頃、

転職をきっかけに
「子供を育てるのに最適な場所」として
熊本に移住してきました。
39歳になったある日、
前職の元同僚が取ったと聞いた行政書士の資格

当時、行政書士が主役の
「カバチタレ」というドラマにも影響され、

偶然に
「資格」という「人生の武器」を見つけました。

 
僕は「自信」がずっと欲しかったので、
まるで天から光が差してくるようでした。
 
 
はじめて「生き方」を考えた
『人生の転機』

 
大きなきっかけとなったのが
行政書士の受験でした。
 
資格を手にして、
どうするという野望があったわけじゃないんですが
コツコツ地道に勉強すれば報われる
 
それを自分の自信につなげたかったのです!
(↑これは表向きの理由)
 
 
 
心の底では、
家族から
「お父さん、凄い!」とか
 
知り合いから
「あの加納がどうしたん?凄いやん!」
 
そんな言葉をかけられて
優越感が欲しかったのだと思います。
 
承認欲求が
極端に満たされていなかったのでしょう。
「周囲を見返してやりたい」と、
当時いつも思っていましたね。
 
 
 
 
格勉強って自分との戦いです。
朝は5時に起きて、
家族が起きてくる時間まで勉強
 
普通に会社勤めをして
残業を終えて22時に帰宅すれば、
普通ならバタンキューですが
受験勉強を夜中の1時まで頑張っていました。
 
休日も本来は
疲れを取るため、遊びに行ったり
のんびり昼寝でもしてくつろぐでしょう。
 
それでも僕は夢を実現するために、
土日も最高14時間勉強しました。
 
「くつろぐ時間など自分には無い」
そう言い聞かせながら、
睡眠と食事以外の
すべての時間を割いて勉強していました。
 
 
 
 
資格試験は誰から強要されたわけじゃなく、
自分が望んで受験するもの。
 
いつ諦めても誰も何も言わないのです。
 
「しんどいから止めてもええやん!」
という悪魔の自分と、
「諦めたら今までと変わらんよ!頑張れ!」
と応援してくれる天使の自分が
いつも取っ組み合いのケンカをしていたのです。
 
 
 
 
ートがいるくらい
寒さが増してきた2011年の11月
もう3回目の受験でしたが
行政書士試験が熊本大学でありました。
 
予想外に手応えが良かったので、
「今年でやっと受かる」
という期待に胸を膨らませながら
試験室を出たのです。
 
その日のうちに
解答速報というものがあるので、
家に帰ってすぐ自己採点したんです。
 
 
 
果・・・その年も不合格でした。
 
「今を乗り越えれば、きっと報われる」
と信じ続けてきた希望が崩れ去る瞬間は、
本当に地獄に突き落とされたようでした。
 
悔しくて悔しくて、
涙が溢れてきましたが
 
3回目の行政書士受験が終わり、
そこで断念することにしました。
 
もうその頃には
家庭の雰囲気も重くどんよりとしていました。
僕も3年間、家族をほったらかしにして
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 
悔しさと自分の無力を嘆いていても
何も変わらないのはわかっていましたが
1ヶ月間は魂が抜けたように落ち込んでましたね。
 
 
 
 
して・・・
第2の転機は、
僕が44歳になる直前に訪れたのです。
 
いい歳をしながら、
相変わらず何かを探し求めていた
自分でしたが
ある日、インターネットの広告文章で出会った
「セールスライティング」が人生を変えてくれました。
 
言葉一つで人の反応は変わり、
感情に訴えることで行動に促すことができる。
 
 
 
 
相手からどう思われているのか、
いつも気にしたり
対面でコミュニケーションを
取るのが苦手だった僕には
 
神様から教えられた
天職」であるかのように
「言葉」を扱う仕事に魅せられたのです。
 
 
2014年、
僕はセールスライター兼
マーケティング・コンサルタントとして独立起業しました。
 
 
 
 
最初は勢いがありました。
仕事がどんどん飛び込んできて、
「自分って凄いかも?」という勘違いの始まりです。
 
僕はお客さんの利益よりも
自分の利益を優先させてしまったのです。
 
その頃知り合った方の
影響もあったかもしれないですが
「巷の経営者はこれだから・・・」
 
僕は世の中を見下すようになっていました。
勘違いの連鎖は
もう止めることができず暴走を始めました。
 
 
 
分の「あり方」を見失った僕は
仕事が取れなくなって、
上手くプレゼンする事さえ出来なくなりました。
 
お客さんも僕の自信の無さを感じとったのでしょう。
家庭でも居心地が悪く、
一時引きこもりのような状態になったんです。
 
 
そんな状態が3ヶ月続き
「このままじゃアカン!
 何をしてでも食うためのお金を稼がねば!」
 
 
 
そう考えた僕は、
SNSでつながりのあった、
ある社長に連絡をして
営業職で雇ってもらえることになったのです。
本当に救いの船でした。
 
その会社で与えられた仕事。
それは、ある部署の立て直し。
 
業務の仕組み化が必要でした。
夜中までその方法を
先輩の女性と議論したこともあります。
 
 
 
ようやく担当部署が
軌道に乗り出した頃、
僕の人生を変えたのが・・
ある恩人から教えてもらったこの言葉
 
先義後利(せんぎこうり)
 
「義を先にして利を後にする者は栄える」
から引用されたものですが
起業したての頃、
ある日を境に仕事が取れなくなった理由がようやく分かりました。
 
 
 
 
いろいろ試行錯誤の人生でしたが
今があるのは過去のおかげ。
すべてが良き事として繋がっているんだなと
結局、人と人の関わりなんだなと、
ようやく「ご縁」という言葉が
”腑に落ちた”のです。
 
 
 
 
それからの僕の考え方は一変しました。
『お客さんが儲かるにはどう行動すべきなのか?』
仕事も良い方向へ向かい、
1,000万円の大型商談も成立させることができました。
 
 
そして自信を持つことで
「マーケティングの力で
 集客に困っている経営者を助けたい」
という起業精神が再び湧いてきたのです。
 
『過去の経験で今の僕が出来ている。』
 
 
 
どん底にいた僕を雇ってくれた
社長と出会えなかったら今の自分は無い
「先義後利」を教えてくれた先輩のおかげ
ビジネス復活に助言をくれた福岡の友人のおかげ
 
僕のことを応援してくれた人
全てのおかげで今の自分があるんです!
 
 
 
々、当たり前に起きることに感謝しています。
日々、出逢える方々に感謝しています。
 
 
他の誰でもなく
「僕」に関心を持っていただいた“あなた”に
出逢えることが、とても幸せです。